2016年3月

 ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。ルカ19:5

ここでザアカイはイエス様と始めて会った。それなのにイエス様は古くからあの友人であるかのように彼の名を呼ばれるのだった。

 初対面の人から「○○さん」と言われたら私たちも驚くだろう。でもそれだけのことではないか。マジシャンなら名前を当てるくらいの演技ならできるだろう。きっと何か仕掛けがあるのだ。前から調べておけばできない技ではない。

 不思議なようでも手の内を聞くなら、なるほどと思うが全部をその人に任せようなんて考えない。ザアカイは初対面のイエス様が自分の名を当てられた、そのことを驚いたのだ。前から調べておけばできない技ではない。

 不思議なようでも手の内を聞くなら、なるほどと思うが全部をその人に任せようなんて考えない。ザアカイは初対面のイエス様が自分の名を当てられた、そのことに驚いたというのか。そんなことで人は技ではない。

 不思議なようでも手の内を聞くなら、なるほどと思うが全部をその人に任せようなんて考えない。ザアカイは初対面のイエス様が自分の名を当てられた、そのことに驚いたというのか。そんなことで人はついて行くだろうか、ましてや『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人に施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します』(ルカ19:8)

 この決意をするだろうか。名前を当てられただけでこんなことをする人はいない。

 彼の心が動かされたのはイエス様の暖かい御声だったと私は思う。ザアカイを町の人は『罪人』と呼んだ。「ザアカイ(主が心を留めてくださるという意味)なんてよく言ったものだね。

 貪欲で威張って情け知らずで、町中の嫌われ者。ああいやだね」きっと町の人は吐き捨てるようにして彼の名を呼んだだろう。ではイエス様はどうだろう。聖書からその時の様子はわからない。

 でもイエス様も町の人が彼を呼ぶようにののしるような口調で『ザアカイ』と呼ばれただろうか。そうなら彼はイエス様について行かなかったと思う。そうではなくてイエス様はやさしいお気持ちで『ザアカイ』と呼ばれたと思う。それは遠い昔彼に名をプレゼントした両親が呼んだ時のようではないか。長い間忘れていたものだった。

 ザアカイはそうした心の中を全部ご存じの御方について行く決心をしたのだ。 私たちもいつかイエス様からひとりひとり名を呼ばれる時がある。イエス様は大切に私たちの名を読み上げられるだろう。

 『わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す』(黙3:5)聖歌634番「世の終わりのラッパ鳴り渡るとき、世はとこよの朝となり、救われし者は四方の隅より、すべて主のもとに呼ばれん。その時我が名も、その時我が名も、その時我が名も、呼ばれなばかならずあらん』

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