2015年5月

その時、イエスはこういわれた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。                            ルカの福音書23章34節

もし聖書に表題を付けるなら文頭の聖句になるだろう。

『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』これはイエス様が十字架にかかっておられた時のお言葉になる。

 

なんと自分を十字架に付けるように引き渡した人々のために父なる神様に祈られた訳だ。

しかも『彼らをお赦しください』と罪の赦しを願っておられる。イエス・キリスト様が私たちの世界においで下さった理由がそこにある。

 

『キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。

キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです』(第一ペテロ2章22-24節)

 

私たちは自分で決めたり、良心に従って生きているように思っているかもしれないけれど往々にして何かに振り回されているのではないだろうか。

 

人の目、世間の目、言い伝え、教え、『あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています』(コロサイ2章89節)

 

十字架のイエス様を罵った人たちがそうであったように私たちも『何をしているのか自分でわからないのです』本当の自分を見失っているのではないだろうか。

 

イエス様のお苦しみは『私たちの罪をその身に負われました』御子の血によって私たちも罪を赦していただこう。

『キリストが傷の無いご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう』(ヘブル書9章14節)

 

 

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